うつぼってどんなところ?

元和8年(1622年)に、塩魚干魚商人が、現在の東西伏見町のあたりから津村の葭島を開発して移住し、新靱町(靱中通り1・2丁目)・新天満町(上通1・2丁目)・海部堀町(靱南通3丁目・中通3丁目)を形成し、「靱の三町」と呼ばれました。

寛永元年(1624年)には、海部堀川・永代浜を開き、塩干魚商人や肥物商人の市場として繁栄しました。

 

昭和20年(1945年)3月の大空襲により焼け野原になった靱地域の多くは、昭和21年(1946年)に進駐軍に接収され、飛行場になりました。

昭和27年(1952年)に接収が解除され、その跡地には大阪市の都市計画復興土地区画整理事業により、3年の歳月をかけ、昭和30年(1955年)に靱公園が完成しました。

 

戦後、焦土と灰燼から再生した靱地域は現在、靱公園が緑豊かな都会のオアシス、市民の憩いの場となり、公園沿いには高層マンションやカフェやアパレルショップなどが立ち並び、日々変貌しています。 

 

「靱」の名前の由来

豊臣秀吉が訪れた際、『やすい、やすい』という魚商人たちの掛け声を聞き、「やす(矢巣)とは靱(矢を入れる道具)のことじゃ」と言ったことから、「靱」と呼ばれるようになったと伝わっています。


町会に加入しませんか?

夏祭りや登下校見守り、地域清掃などの活動は、町会をはじめとした、様々なボランティアのみなさんのチカラで運営されています!

地域活動協議会の事業にかかる費用の一部も、町会費で賄われています。いっしょに地域の活動を盛り上げていきましょう!!


町会についてのお問合せ

靱連合振興町会・靱地域活動協議会

〒550-0004 大阪府大阪市西区靱本町1丁目9−25 靱会館

TEL 06-6447-0022

FAX 06-6447-0040

受付時間:月曜日~金曜日(祝日は除く)

10時~16時(12時~13時を除く)